東日本大震災は2011年3月11日に発生した大地震で、その影響は遠く離れた秋葉原でもありました。そのときの秋葉原のようすを、当日と翌日を中心にまとめてみようと思います。

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目次

発生直後の秋葉原のようす

当日、ぼくは青山にいたのですが、地震後、皇居をぐるりと周り秋葉原に戻ったときにはもう夜、電気街のお店が閉まりはじめる時間でした。

夜八時過ぎ、いつもなら閉店するオノデンの店頭でニュースが流されてます。小野社長にお店を閉めないのかお伺いしたところ「お客さまが必要な間は」とのことでした。

ツクモ12号店のとなり。ビルの壁が崩れてしまい、地震の衝撃がいかに大きかったかが伝わってきます。

パンやカップラーメンなどは、お店の棚から消えていた。

JR秋葉原駅構内では、帰宅困難者のかたたちがたくさん避難、帰るあてもなく座り込んでいました。

衝撃的な光景です。駅構内に取り残されたひとたちがこんなにも多く、そしてこれからどうなるのかわからないことが不安でいっぱいでした。

アキバ・トリム内でも帰宅困難者のかたたちがあふれるほど取り残されています。女性の方がひとりで座っていたりして、どれだけ不安だったのでしょうか。

震災翌日のようす

駅のシャッターが閉まっていたことから構内にいた帰宅困難者の方たちは外に移動したもよう。

一夜をここで過ごしたのか、始発の電車に乗るためここにやってきたのか、明け方早朝、シャッターが閉まる駅前に集まる帰宅困難のかたたち。

そんな中、何より驚かされたのは、ヨドバシAkibaにできていた「仮面ライダーオーズ」の行列。まさかの光景でした。

ゲーマーズ本店の店頭でも人だかり

この日は「魔法少女まどか☆マギカ」のコミックス第2巻の発売日で、どこからどう集まったのか、開店前に行列ができていました。

街のひとたち

路上でマジコンを売ってたおじさん。震災翌日、ふつうに営業

ナンバーワン某メイドカフェ。震災翌日、メイドさんは普通に呼びこみ

高額絵画販売・通称エウリアンのおねーさん。震災翌日、普通に出勤も鍵がないのか中に入れず

どんなときでもハッスルハッスル。ちから強い生命力のようなものをかんじます

その後の秋葉原

旧ラジオ会館の階段の壁にひび。これはかなり衝撃的でした。地震の前から決まっていたそうですが、その後、ラジオ会館は建てなおされることになります。

ラジオ会館建て壊し前に行われたシュタインズ・ゲートとのイベント。その後、ラジオ会館は惜しまれながら閉館・取り壊されます。

秋葉原では震災後、多くの建物が耐震上の問題で建て壊しが行われ、お店の閉店も相次ぎました。大きな爪痕を残した東日本大震災はいまもなお人々の生活や建物、こころに刻まれています。

そんな秋葉原からではありますが、震災の被害にあわれたかたたちの一日でも早い復興をこころより願っております。