2008年に秋葉原・中央通りで発生した無差別殺傷事件から17年。現場の交差点では今年も弔いの花や飲みものが供えられていた。
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無差別殺傷事件
秋葉原無差別殺傷事件は2008年6月8日に発生した通り魔事件。一連の犯行によって7人が死亡、10人が重軽傷を負った。
日曜日の歩行者天国をトラックで侵入してひとを跳ね、その後ナイフで無差別に通行人を刺し殺害していった事件。
事件現場のようす
あの日から今年で十七年
事件発生から17年が経った6月8日。2025年のこの日は事件当日と同じ日曜日となり歩行者天国が開催された。
中央通りの交差点では毎年弔いの花や飲みものが供えられ、多くの人たちが手をあわせにやってくる。
歩行者天国が実施された交差点には時間が経つとともに多くの花や飲みものが増えていったのだが、周囲の賑やかさがそう思わせるのか、どこか事件を忘れてしまっているような雰囲気を感じた。
ごみ捨て場に
そんな事件現場だが時間の経過とともに変化していった。
翌日の交差点。多くの人たちが訪れたことが伺える花や飲みもの。
この時点では供えられたペットボトルには中身が入ったままだったように思う
さらにその翌日、花は束になり段ボールにまとめられていた。飲みものが少しだけ減っている。
この状態がしばらく続いたが、6月17日のあさ確認したところ大きな変化があった。
飲みものはペットボトルの中身がなくなったものや飲みかけのもの。ゴミであふれたゴミ捨て場になっていた。
徐々にゴミが置かれ、飲み物が目立つようになり、それから一気にごみ捨て場へと変わってしまったのか、あふれるほどのゴミで事件現場が埋もれていた。
段ボールの後方。微かに花束が確認できるが、パッと見ごみ捨て場のように見えてしまっても仕方がないのかもしれない。
この様子をSNSに投稿したところ大きな反響があり様々な意見が寄せられた。
- 花を供える為の段ボールをゴミ箱と勘違いした外人とかいそう。
- 酷い有様ではあるが、アキバゴミ捨てるとこ少なすぎるからこうなっててもまぁ妥当だよねって感じてしまう
- ゴミ箱需要高いことは明らかなのに、千代田区が頑なに設置しない。ゴミ箱置くと爆弾仕掛けられるとか言うけど、このゴミの山にだって隠せる
- 酷いけど、そもそも供物も不法投棄であることを自覚すべき。供えるだけ供えて始末もせず放ったらかしにしているのであればゴミと変わらない。
- 通り魔事件供養のお供えをゴミと勘違いして ゴミ捨て場にするのは流石にバチ当たりが過ぎる
- 日本人なら事件現場ってわかるけど、外人じゃゴミ置いてあるから置いていこうって認識か ひどいな
- いつまでも現地で供養しようとせず、折を見て適切に管理しやすい場所(家の仏壇やお寺の祭壇、お墓など)に供養の場を移すべき理由がこれか。やっぱり経験則に基づいてるんだなぁ。
- 卒塔婆が撤去され供花が枯れ始めると、事件当時はほとんど居なかった外国人観光客にとってダンボール箱はゴミ箱にしか見えなくなり、ひとつゴミが置かれ始めると街なかにゴミ箱がなさ過ぎて困ってる事件を知らない日本人も捨て始め、加速度的にゴミ捨て場になっていく。めっちゃ現代的光景。
外国人観光客がどういう場所なのかわからず置いていったのでは、というものと、ゴミを捨てる場所が秋葉原にはないといった意見がとても多かった。
その後
ごみ捨て場と化してしまった現場のその後。あれほどゴミであふれていた交差点がきれいに片付けられていた。
この様子をSNSで投稿したところ、「清掃事務所が対応させていただきました」という反応が千代田区・樋口高顕区長より説明があった。
秋葉原ではこの場所以外にもゴミのポイ捨てがひどく、ゴミ箱を街に設置してほしいという意見が以前から多かったが設置してそれで解決というような単純な話ではなさそうなため、対応がなかなか難しいのだと思う。
この場所のゴミ問題は毎年なにかしらあって続いているので、今後いろいろと本気で変えていく必要があるのかもしれない。
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